神足寺について

神足寺について

神足寺の沿革

当寺は、慶長十二年(一六〇七年)に江戸木挽町に土地を拝領し、行心和上を開基として創設し、「月岬山神足寺」と号しました。

その後は、八丁堀、西久保赤羽、三田村(現在の港区)にと建立以来三ヶ所を移転しました。

三田村では、長く聞法の場として門信徒の教法につとめました。

明治四十三年(一九一〇年)、当寺十六代憲英住職の時、本堂と庫裏を現在の地にそのまま移転、昭和三十三年には本堂の改築、平成二十九年にはお内陣お荘厳一式修復がなされました。

本堂
本堂(内陣)

行心和上

百年以上にわたる一向一揆の天正七年(一五七九年)、本願寺十一世顕如上人、十二世教如上人の二人を中心とする軍勢が織田信長の軍と戦っている時、行心和上は、伊豆の武士、伊東氏として織田軍に加わっていました。

その時、織田の陣地に教如上人の書いた手紙が矢に結ばれて射こまれました。伊東氏は手紙を読んで、信長の軍がいかに誤っていて、本願寺派の主張が正しいかを知らされました。

伊東氏は教如上人の意見に感服し、信長の陣をそっと去り、本願寺の味方となり、一揆の後に大谷派の僧侶となり行心と改めました。

神足寺の宗旨

ご本尊

本尊

阿弥陀如来(あみだにょらい)南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)

宗祖

親鸞聖人(しんらんしょうにん)(1173~1262)

正依の経典

浄土三部経(じょうどさんぶきょう)
仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』 『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』 『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)

宗旨

浄土真宗(じょうどしんしゅう)(真宗)

宗派

真宗大谷派(しんしゅうおおたには)(お東)

本山

真宗本廟(しんしゅうほんびょう)(東本願寺)
京都府京都市下京区烏丸通七条上る常葉町754

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